自己能力開発と才能の活かし方

自分の才能を目覚めさせて、活用することができるように、今までの弱点にこだわった考え方を改め、強みを磨いていきましょう。

才能を見つける手がかり

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才能を見つけるために肝心なことは、自分自身をよく観察することです。

さまざまな状況のもとで、自分が無意識に、反射的にどのような反応をしているか、というのは、才能を見つける有力な手がかりとなります。

たとえば、搭乗している飛行機の警報がいきなり鳴り出したときに、乗っている人がどのような反応を示すのか。

ある人は周りの人たちを観察しました。

ある人は状況を正確に把握しようとし、ある人はウォッカの小壜を取り出して「最後の一杯をやらせてくれ」と馬鹿げたユーモアを言い、ある人はもうコックピットの戸口に立っており、ある人は泣きが入っていました。

極度の緊張状態に置かれたときに示す反応が、その人間の中で最も支配的な才能を露見させるという例です。

この例は極端なものですが、日常の生活の中でも、緊張状態で無意識に内面が露出されることは多々あります。

無意識の反応というのは、その人独自の行動パターンを表しています。

そして行動のパターンから、才能という「何かを生み出す力を持つ資質」を探ることができるでしょう。

無意識の反応という表面的なものの他にも「切望」「修得の速さ」「満足感」という内面的な手がかりもあります。

「切望」は、おそらく遺伝や幼児体験が影響を与えていると思われます。

表面に表れやすいのは幼い頃が多いのですが、晩年近くなって表れることもあります。

どんな人にも胸に秘めた願望があるでしょう。

切望は脳内回路の中でも特に強力な回路が引き起こす自然な現象です。

何かをしたいという強い願望が起こるのは、誰にとっても自然なことです。

幼い頃に表れた例として、たとえばピカソは13歳で大人に交じって美術学校に通い、芸術を学んでいました。

モーツアルトは12歳の誕生日を迎える前に、最初の交響曲を書いています。

名前の知られた人でなくても、周りが見えなくなるほど何かに夢中になった子どもが、注意されたというようなことはよくあることでしょう。

幼い頃の感情は、脳のさまざまなシナプス結合によって引き起こされるのですが、感情が強いと抑制が効かず、その結合に引っ張られ、その結合が命じることをしたいと渇望するようになるのです。

しかしながら、強い願望があっても何らかの制約があって実現不可能なことも少なくありません。

小説を書きたいという願望がありながら経済的制約のためにかなえられなかったぺネロープ・フィッツジェラルドは、50代半ば以降に願いが叶うようになった途端に抗しがたい衝動にかられて小説を書き続け、英国で最高の作家とまで言われるようになっています。

長年切望していながら叶えられず、78歳になってから自らの才能を解き放った画家もいます。

ここで言う「切望」とは別に、見かけの華やかさなどから錯覚を起こして広報活動に憧れることや、人の上に立ちたいという願望からそのような立場や地位を望むこともあるかもしれませんが、そのような偽りの切望に心を奪われてしまうと、本当の切望の声が聞こえなくなってしまいます。

才能は、外界からの抑圧を受けていたとしても、その強力な回路はその人が気づくことができるように常に訴え続けています。

知識を積み、価値観や自己認識を磨いて、その訴えに気づいてください。

自分の才能を本気で見つけようとしてください。自分が本当に望むことを追いかけることで、強みを築くことにつながっていくでしょう。

しかしながら才能の中には、切望のサインを送ってこないものもありますし、本人がサインに気がつかないことも少なくありません。

切望の多くが幼い頃に表れるのに対して、比較的年齢を重ねてから表れるのが「修得の速さ」です。

新しい仕事のため、または目標のためなどで新たな技術を学び始めたときに、その修得の速さで才能を知ることがあります。

何かのきっかけで突然才能が花開く、脳の中で突然光が灯るかのように、新たな技術を修得してしまうのです。

むしろ修得する段階そのものが消えてしまうかのように、初心者のぎこちなさがあっという間になくなり、他の人を引き離し、教わらなくとも次にやるべきことをやろうとし、巨匠の雰囲気が出てくることもあるのです。

まるで新たな技術のほうから手をさしのべるような状況になります。

もちろん、このようなことがすべての人に起こりえないというのは「切望」と同様です。

けれどもどんな分野であっても、それが販売でも、建築設計でも、清掃でも編集でも、必要な技術の修得が早いと思われるのならば、それをさらに追求すべきです。

通常より速い技術の修得がある分野に、自分の強みとなる才能があるかもしれません。

才能を知る内面的な手がかりとして、もう一つ「満足感」があります。

才能というのは持ち主に楽しいと思わせる力を備えているものです。

特に意識はしていなくても、何かを成し遂げたときに気分がよければ、それはすでに自分の才能を活かした仕事をしていたのかもしれません。

ただ、喜びを見出す分野というのは、些細なものまで挙げていくときりがありませんし、その差がわずかであっても人によって異なります。

自分がどのような状況で満足感を覚えるのか、楽しいと感じるのかを念入りに観察するべきです。

結果、それがわかれば、その分野が才能かもしれません。

満足感や喜びを、才能を知る手がかりとするときに気をつけるべきことがあります。

それは人間には誰しも、反社会的なことがしたいという欲求を潜在的であれ、持っているということです。

たとえば他人の失敗を喜ぶとか、他人が嫌な思いをしているそばで自分だけがいい思いをしたいというような感情は、多かれ少なかれ経験があるでしょう。

このような行為は才能につながる満足感とは言えません。

また、才能を他人の失敗を喜ぶことに使いたいような人は、才能を伸ばす以前に、自分自身の価値を一から考え直すべきです。

本当の満足感というのは、建設的なことに対して得られるものだと思います。

自らを念入りに観察しても、才能の基である満足感を突き止めるのは容易ではないでしょう。

才能とは無関係の満足感を得ることも多々あるでしょう。

満足感というものの差は微妙なものです。

参考になるかどうかわかりませんが、何かをしようとするときあるいはしているときに、これはいつ終わるのだろうかと考えてしまうのならおそらく才能が活かされていないか、それは才能がある分野以外のことだと言えるかもしれません。

一方、いつまたこれができるだろうかと思えるのであれば、それを楽しんでいると言えます。

そしてその分野において、なんらかの才能を活かしていると考えてもいいでしょう。

才能を見つけるための手がかりとして無意識の反応、切望、修得の速さ、満足感を挙げましたが、忙しい日々の中で、これらの手がかりが明らかにそれとわかることは多くはないかもしれません。

ときには立ち止まって耳をすましてください。

手がかりが語りかける声、才能を認識させる声が聞こえるかもしれません。


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